先週の話なんですが、ぶらり神田明神に行って参りました。

marble10312008-11-15



その前に以前チョロっとネタに書いた「幽霊坂」に久々に行く。
以前、御茶ノ水界隈で仕事をしておりましたのでこの辺は神保町同様愛着があるのですが、特にこの坂には愛着があるわけではなく、笑。

ただそのネーミングが好きなだけ。

幽霊坂

恐らく日本中にこう呼ばれる坂は多いでしょうが、ここは明治時代の文献「東京名所図会」によると「往時樹木蔭鬱にして昼尚凄寂たりを以って俗に幽霊坂と唱えたし」と書かれており、当時、寂しいところであったことからこの名が付いたというだけの話。

確かにいつ来ても人通りは少ないですがね。
文献が無くただこのネーミングが後世残ってしまった場合、ここは立派な怪スポットになるのでしょうねぇ。

さてと、聖橋を渡って神田明神へ向かおう。

この橋から見下ろす線路は電車オタクの方々通称「鉄」人にはメジャーなのかな?カメラ片手に数人が熱い視線を送っておりました。


湯島聖堂を右手に通過し、本郷通りを右折、しばらくあるくと鳥居が見えてきます。


隨神門をくぐると正に神社な空間が眼前に広がる。

神田明神は、東京都千代田区外神田二丁目にある神社。正式名称「神田神社」。神田・日本橋秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場築地魚市場など108か町会の総氏神。祭神は3柱で、一ノ宮:大己貴命 二ノ宮:少彦名命 三ノ宮:平将門神(まさかど様)。
社伝によれば、天平2年武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。承平5年(935年)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇される。しかし、明治7年、明治天皇行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命大洗磯前神社から勧請された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年になって本社祭神に復帰した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

この明治の平将門様が祭神から外されたエピソードは、当時江戸時代よりここに住み崇めてきた庶民にとって大事件だったらしい。たしかに昔から崇めていた土地神に対するこの仕打ちはないでしょう。大激怒のデモにより当時の宮司はリコール。それでも騒ぎは治まらず、慌てて神社側が将門公を祭神に戻したという。まさに江戸っ子がお国に逆らっても守った将門様の信仰。恐るべしといえます。恐らく現在では将門様が一般的に知名度が高いのでは無いでしょうか?


初詣にはIT起業や東京で事業展開する方々がこぞって参拝するそうで、元々戦国時代から多くの武将から崇敬を集めていたわけですから、企業にとってはビジネスは正に戦(いくさ)の様なもの。妙に納得です笑。
また、徳川家康公が関が原の戦いに望む際、戦勝祈願を行い神田際の日に勝利。それ以来家康より「神田際は縁起の良い物だから絶やす事は無いように!」と命じたという。そりゃあ神田際は盛大ですわ。


この様に神田明神は江戸の総鎮守として信仰の深い偉大なる神社なのですね。


境内には巨大なダイコク様こと大己貴命の像があります。
将門様が有名でもあくまで一ノ宮は出雲系氏族の祖神「大己貴命」ですからね。

さて、この大己貴命大国主の別名とされるいわゆるダイコク様。
七福神の大黒様でもあります。この大黒様は、大暗黒天と大国主が混ざっちゃって良く解らない事になってしまった神様なんですが、大国主命は別名が多すぎるので、別々の神を統合した神とも言われております。小生はこのおちゃらけブログとは別に、「七福神信仰」「蛇神信仰」「富士塚信仰」「庚申塚信仰」をメインとした所謂、民間信仰の自主研究を真面目に取りくもうかと目下勉強及び調査中ですのでこのダイコク様は格別な思いがあるのです。


じっくり拝みましたが、う〜むユーモラスなお顔でいらっしゃいます笑。まさに福神ですね。



そのそばには二ノ宮である「少彦名命」の像があります。うお、色付いてるじゃん!


この少彦名命様は事代主や蛭子神と並びえびす神の一つとされる神様で、神話においては大国主命が国造りをする際に海より来たりて彼を助けたという小さい神様。しかし国造りが終わらぬ半ばでこの少彦名命様、粟に乗って遊んでいたらはじかれ、海の彼方にあるとされる常世の国に去って行ってしまったというなんとも残念な結末を持つ笑。一説によれば一寸法師はこの少彦名命が源流であるともいいます。



ここで、神田明神のその名高き巨大狛犬の登場です。
狛犬とは一般的に高麗犬。朝鮮半島を経た為に犬になったのですが、元はインドやエジプトのライオンです。
しかし、ここ神田神社狛犬は非常に「犬」色が強い。

なんとも凛々しい!!眼力が違う!!
後姿が愛らしい!!笑

いや〜狛犬も素晴らしいですよ。

で、その右方面をみると

おお!これが文化財に指定されているいう獅子山か!?



獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすの再現か?。
実際のライオンはこんな事はしません笑。中国の諺が語源とか、、。

さておき、この獅子山は元は「神田富士」と呼ばれる富士塚が現在は獅子塚として築造されたとの事。
きた〜「富士塚」。富士塚ネタのブログは近日書く予定ですが、なるほどそういう過程があったか。

ここまでで既に私的満足な展開でしたが、この神田神社摂末社がかなり多くあることでも有名。

この都会のそれほど広くない敷地内に、祖霊社、龍祖神社、末廣稲荷神社、三宿神社、金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町、八雲神社小舟町八雲神社、魚河岸水神社とまあ沢山。しかもよく他の神社にある集合団地みたいな社じゃなくてそれぞれ構えてあるところが良い。

各神社の狛犬、眷属もバリエーション多くて素敵。


特に気に入りましたのはこちら魚河岸水神社のミニ狛犬様でございます。表情がステキング!


そしてここには、銭形平次捕物控の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内に銭形平次の碑があります。ご存知かと思いますけど銭形平次自体は架空の人物です。笑 碑になっちゃうのね。

さてと充分に堪能致しましたが少々疲れたので、鳥居近くにありました茶屋で休憩して帰ろうかと。


甘酒飲んでくか折角だし。
外で飲むと350円ですが、寒かったので400円の店内へ。

結構本格的というのかなぁ笑。甘過ぎず臭すぎず、美味しかったです。
店内の雰囲気も非常に良し。


そんなこんなであっという間だったような長かったような滞在時間2時間程度でしたが、
流石は江戸の総氏神様。素晴らしき神社でございました。神田祭の時には是非また来なければ!

さて、今回お土産に買いましたグッズは、、、



下駄履きにとって冬は必要不可欠な足袋型靴下。ちなみに鳥獣戯画仕様笑。

以上神田明神散歩報告でございました。