ネタのタイミングが遅れまくっておりますが!久々更新です。あははは
先日、巣鴨あたりを散歩してまいりました。
巣鴨と言えば、おじいちゃんおばあちゃんの原宿というのが有名なフレーズですが。
そんな恥ずかしい言葉、今でもいうのかなぁ?笑。
過去に何回か行ってるんですが、例の如くほとんど忘れるのでなんか新鮮な感じ。
さて、巣鴨地蔵通り商店街へ潜入。
なんか楽しい!鼻歌まじりで歩いていると、ここでは珍しく若者が出入りしている店を発見。
ちりめん工房「布遊舎」。
かっちょいい手袋を見つけたので即買いしちゃいました。これなら和装にもハマルぜ!
しばらく行くと、この参道の目玉たるとげ抜き地蔵尊「高岩寺」に到着!
江戸時代、武士の田付又四郎が、夢枕に立った地蔵観音のお告げにより地蔵尊の姿を描いた紙を川に流すと、妻の病が回復したことが御影の始まりであるとされる。病気の治癒改善にも利益があるとされ、現在に到るまでその利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。
くだんの延命地蔵尊様は秘仏なので非公開なのですが、自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗うと利益があるという洗い観音様は院内にあります。
さあお昼ご飯を食べよう!
巣鴨と言えば有名なカレーうどんの店「古奈屋」高岩寺のすぐ隣にあります。
最近都内に支店が出てきましたが、なんと言ってもここが本店。本家が一番美味いに決まってます。←強引
で、マジで激ウマ!!
こんなに美味いカレーうどんは食べた事が無いっす。
全力でお薦めします。
満足して参道に戻るとやたらと赤パンツを売っている店が目につく。
日本一の赤パンツ、、、。縁起物でしょうが、これぞ見えないお洒落ですね。
昔ながらの玩具屋。え〜と老人が買うのか?汗。
ルネッサ〜〜ンス!!な純喫茶。
唐突です。
参道終わりにあるお芋屋さん。人気あるみたい。
参道の出口にはもう一つの目玉、庚申堂・巣鴨猿田彦大神があります。
巣鴨猿田彦大神
江戸時代の民間信仰である「庚申様」を崇めるために、土を小高く盛って造った石塚。猿田彦大神がまつられている。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られているようです。最近の研究でも「謎多き神」として有名らしい。
ちなみに庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習。バリバリ道教の影響を感じます。
申は干支で猿に例えられるから、眷属は猿。猿田彦と庚申が結びついたのも恐らく猿繋がりの要素が大きいと思われる。
猿田彦大神を出ると、庚申塚ラーメンという名の洋服屋が!笑。
閉店したんだろうけどせめて名前は消しとけばいいのに。
隣は「○○の母」系の店。にしても人生アドバイザーか、、。
おじさんも一つアドバイスしてもらおうかな?
都電荒川線があるので、どうせなら乗ろうと。
駅前の豆腐屋のおばちゃんが風景にとけてて良い。
仁王様が迎えてくれます。
入って左手に小生の好きな稲荷神社があります。
武芳稲荷神社
元来はこの武芳稲荷神社の土地に、後から鬼子母神が建てられたらしく。
こっちが本元。武芳稲荷は、約400年ほど前に、地主神として祀られたもので、
当時は「稲荷の森」と呼ばれていたのだとか。
後から知ったのだが、椎名林檎のプロモーションビデオの撮影現場としても有名らしい。
稲荷の眷属は勿論「狐」。
いずれ各神社と眷属についての考察は改めて書きますが面白いもんですよ。
ご神木の周りをぐるりと鳥居が囲む。
鳥居の中を歩くと幻想的な気分に浸れます。
その隣には江戸時代から続くという駄菓子屋があります。これがまた絶妙な
ロケーション。
鬼子母神堂
鬼子母神は安産・子育の神様として広く信仰の対象となっていますが、
元は鬼神・般闍迦の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、
常に他人の子を捕えて食べてしまうため、釈迦は彼女が最も愛していた末子・愛好を隠して子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた。以後、仏法の護法善神となり、子供と安産の守り神、盗難除けの守護になったと言われております。
しばし散策!
敷地内にある法不動堂。
ん?茶釜?笑。
狛犬。
ここで肝心の鬼子母神像を撮り忘れる!!大失敗。
まあそんなこんなでしたが、
すっかり日も暮れましたので、ここで本日の
散歩を終了する事にいたしました。
今回のコースは、1、巣鴨地蔵通り〜2、とげ抜き地蔵「高岩寺」〜3、カレーうどん「古奈屋」〜4、庚申塚「猿田彦大神」〜5、都電荒川線「鬼子母神前」下車〜6、雑司が谷鬼子母神。終了
正味4時間か?なかなか良いコースでした。
サンシャインのシルエットを眺めながら帰り道。
本日も満足をかみしめるのであった。
了