marble10312008-02-27


さて、ツアーは中編に突入致しました。ダハッ


すっかり気分が良い我々百鬼夜行探偵舎一行は、次の目的地合羽橋へ向かう。

目指すは河童寺こと曹源寺。



浅草寺を迂回するルートはまさにディープゾーン。

昔ながらのオープン居酒屋がずらりと並ぶ。「昼から一杯やっちゃうか?!わはは」
という小生の発言をおもむろに無視して進む舎員達にガッカリしながら(涙)ふと横を見るとやたらとメンズショップが多い事に気がつく。



メンズショップ、、、、。

なんつーか竹内力さんが着てらっしゃる様な服を多く売ってるお店?

浅草は素敵だな〜なんて思っていたらいつの間にか合羽橋商店街に到着!笑


合羽橋道具街と呼ばれるだけあって食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などの問屋がいっぱい。コピケ君はサンプル屋でお土産を買っていた。転売はしちゃだめよははは。


駄菓子問屋を発見したので中に入ると、、

昔なつかしのお化けカードを発見!!カードの裏になんかネバネバするヤツがついていて
こすり合わせると煙(に見える粉)が出るという不思議な玩具(?)

もう束買いですよ!!わはは

それにしても意味の解らない妖怪がいっぱい、、。しかも解説無し!最高だ!
(この玩具に関しての報告は後日致します。)

しばらく道具街を歩くと突然巨大なカブト虫が!笑

しかも閉まっていたので結局何の店か解らないまま通り過ぎる。

、、、、通り過ぎる。何の肉だったのかな?笑


さて、ここから我々が合羽橋商店街で遭遇した河童モニュメント群を発表しましょう!

驚くほどモイチ君とそっくりな河童様!爆笑させていただきました。

河童というか、、お面かぶった人間の像?

しかもアップはなんつーか眼力ありすぎ!!


、、、、、。


、、、、、、。

縛られてました。

切ない顔でした。いやまじで。

町の交通安全頼みます!

ガムテープでとめられてますけど、、涙。


なんか即身仏みたいな河童様。

対比すると巨大さが解るでしょ?笑

なんてうかれていたら、、、空がえらく暗くなってきた。汗、まだ2時前ですが、、

さっきまで暖かった気候が一気に寒くなり、、風がでてくる、、。

いかん!!雨でも降られたら最悪だ!全員に緊張が走る。


それにしても曹源寺がみつからない!!汗

いよいよ焦り始めた時突如としてそれは発見された。


曹源寺入り口にあると名高い河童の「ギーちゃん」像!!

うひょ〜〜サイケデリック!!

なるほど、普通に商店街の中に埋もれてたのね汗。こりゃ迷うよ。←普通は迷わない。


曹源寺のご説明。

伝承によると文化年間(1804〜17)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い低地でアメが降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための掘割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、掘割工事が完成した。この合羽を目撃すると商売繁盛したという。 この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
当寺には河童大明神が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている






流石に境内の河童像は一味違う。

あ、、↑まい〜や。笑

あいにく事前連絡を忘れていたので河童堂の中は拝見できませんでしたが、
皆扉越しに参拝し満足する。

河童ゾーンはなんと言うか、モニュメントでおなか一杯で幻視どころでは無かったかな。笑
ま、それはそれで楽しかったので良し!
(後から気がついたのだが、この時天気が気になっていた為、
肝心な合羽屋喜八様のお墓をお参りしもれるという大失態をさらす。泣)


ともかく我々は次の「蝦蟇」ポイントである本覚寺へ急いだ。

曹源寺から歩く事10分。今度は驚くほど簡単に辿り着く。←普通当たり前。



ここ本覚寺の境内には世にも珍しい蝦蟇を祭る祠があるのだ。

その名は蝦蟇大明神


早速覗いてみた。


うわ!!蝦蟇だらけ!!!結構凄いです。汗


蝦蟇大明神ご説明

天保の頃、當山の檀家に秋山某なる人があった。故あって稼業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正一二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祠った。
 丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所大きなご利益を得、遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。
 千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の高田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至っている。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た。


ここはなんと言うか雰囲気が異常に出てました。ここに来た事によって蝦蟇の好き妖怪ランクが上がりましたね!お薦めです。


ベロンベロン太郎などは気にあてられたのか?急激に体調を壊し始め顔が青くなる始末。笑

そして風はいよいよ強く冷たくなる始末。汗

正直続きをするべきか?と一瞬迷うが、ここまできて上野の山のワンダーランドへ行かない訳にはいかない!もはや青い顔を通り越して土色になっているべろ太郎に一喝くれて、我々は本日最後のスポット上野公園〜不忍池へ歩き出すのであった。

後編に続く〜