久々、幻視シリーズです。
といいましても昨年まだ温かい時期に行ったツアーですが、、おそっ!!
さて、今回の妖怪幻視テーマは
1、天皇に恭順しなかった古代の土豪の名前。
2、日本に伝わる巨大なクモの妖怪で、別名「八握脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」
要するにアレです。まつろわぬ民系、、、小生の好きな縄文系ですよ!
妖怪レベルとしても源頼光の退治話とか伝説数多くスーパー妖怪です。
そんなわけでその住処とされていた一つ「吉見百穴」へ行ってまいりました。
東京からべーの車でグエムル観ながら向かう事途中はしょって約2時間で到着。
吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)とは、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡である。1923年3月7日、国の史跡に指定されている。
おお!穴だ穴!!!わははは
ここに、、あの土蜘蛛が!?一気に妄想は加速する。
中に入れる様なのでワクワクしながらふと入り口を見ると、、
む?!なんだって?ここはそっちの意味でもモヤモヤじゃないか!最高だ!
戦時中軍需工場として使われていたらしく奥は鉄柵で進入不可になっているが、かつてどんな事になっていたのか、、、奥には何が眠っているのか?非常に気になる。あれ?土蜘蛛は?笑
ん?ここで我々は重大な事に気がつく。
このトンネルは軍部がこの古墳に穴を開けたもので、肝心の土蜘蛛百穴ではない!いかんいかん、、思わずブレてしまっていた自分の頬を自分で平手打ちかまして表に出る。
かつて、坪井正五郎という人が吉見百穴の発掘調査の後、唱えた説は横穴を住居とするものであった。その理由が下記3点
1住居用の設備、構造を有している。
2日本人の住居としてはサイズが小さすぎる。
よってコビトのような日本の先住民族、コロボックルの住居として作られたものであろう。
3その後、古墳時代に葬穴用に再利用された穴もある。
これが即ち土蜘蛛の棲家説誕生です。コロボックルはアイヌ版まつろわぬ民ですがね。うん面白い!
でもすぐに人類学会創設の同志である白井光太郎が異を唱えちゃったわけね。
その理由が
1住居とするだけの十分な証拠がない。
2またコロボックルの存在確認が出来ない。
3台座状の構造や副葬品、壁画など古墳の石室と同様の特徴がある。
4薄葬令が出された時期と穴建設がさかんとなった時期がおおむね一致する。
したがって横穴は最初から墓として作られたものである。住居ではない。
ああ〜夢が壊れちゃったじゃないか!?泣
で、坪井対白井の構図に論客を交えて「居穴か墓か」論争が続いたが、明治時代から大正時代にかけての考古学の発達及び坪井の死去(1913年(大正2年))によりコロボックル住居説は衰え、集合墳墓という説が定説となっていったという。
なんてこった!もう誰もが集合墳墓を疑わない世の中になってしまった。
ええ〜〜い!!関係ない!何か痕跡を調べるんだ!どうだ?ゼンバ!何?狭くて暗い?とても生活できないって?汗次だ次!
おお!なんだこりゃ?ヒカリゴケだって?!光ってないじゃないか?次だ次!
立ち入り禁止か、、仕方あるまい。
元軍の施設だし、もやもやするぜ。おっと脱線だ!
結局ここが土蜘蛛の住処である痕跡はみあたらないまま我々の捜査は打ち切られた。
解っているんだ。ここが集合墳墓だって事は。
でも、それでも、、
この穴から一斉に湧き出てくるまつろわぬ民が大和朝廷と戦う有様を想像したいんです!涙
そんな幻視をして今回のツアーは幕をとじるのであった。
結果としては大満足だ。お薦めします。吉見百穴!ドライブのネタにどうですか皆さん?ははは
了
余談
あ、ちなみにすぐ隣には廃墟マニアに有名な岩窟ホテルというのがあります。
明治〜大正に高橋峯吉という人が懸崖をノミとツルハシだけでくりぬき、宮殿風住居をつくったという凄いヤツ!ちなみに我々は現在のあまりのボロボロぶりに気がつかずスルーしてしまいましたが笑
昔の写真↑ホテルとしてはやってなかったらしいけど、これはこれで凄いっすよね?汗